2009年06月17日

一本あたりの平均的な燃焼時間は

一本あたりの平均的な燃焼時間は3?5分程度で、概ね半分から2/3程度吸ったら火を消して、吸殻として捨てる。

この場合、フィルター近くにタバコの葉が残るため、吸殻の残った部分を惜しんでギリギリまで吸う人もいる。また吸い殻に残った葉の部分に再度火を付けたり(いわゆる『シケモク』)、ほぐして紙に巻き直すか煙管を使い吸う方法もあるが、かつて日本が貧しかった時代はともかくとして、個々の事情を別にすると近年はあまり見られない。「一度吸った物をまた吸う行為」自体を忌避するのもさることながら、シケモクでは饐えたような香りがしてしまうことから、喫味が低下するためである。この辺は、再点火して喫煙する葉巻(2度目以降の点火だと葉が適度に湿り気を帯びて風味が良いとして好まれる)との違いになっている。
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火のついた先端は非常に高温で800度近くにもなる。紙巻きタバコは火と灰が剥き出しに近いので、人混みの中で安易に扱うと喫煙者や周囲の人に火傷を負わせることになりかねないほか、可燃物に引火し火災を引き起こす可能性もあるので、燃焼しているタバコの扱いには注意を要する。また、喫煙に際して必ず灰と吸殻が生じるので、灰皿のある場所で吸うか、携帯灰皿を携行するのがマナーである。

2009年05月31日

アディスアベバ

アディスアベバ[1]とはアムハラ語で「新しい花」を意味する。現在の人口はおよそ300万人。

1886年にエチオピア皇帝メネリク2世(在位:1889年 - 1913年)により建設された。場所は皇妃のタイトゥ・ベトゥルが選んだ。
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1936年には、イタリア軍により占領され、イタリア領東アフリカ帝国の首都となった。その後第二次世界大戦時にイギリス軍が侵攻し、ハイレ・セラシエ1世が1941年5月5日にアディスアベバに戻り、首都再建を始めることとなった。

アフリカ統一機構(OAU)の発展解消に伴い、2002年にアフリカ連合(AU)の本部が設置された。

エントト山の麓、標高2,400mに位置する。

2009年04月27日

太陽嵐による影響と対策

太陽嵐により磁気圏内に生成された電気エネルギーは、電離層に強い電流を流し、それによって激しい地磁気変動が発生する。さらにそれによる誘導電流が送電線に生成されると、この誘導電流が正弦波交流電流を乱し、電力関係の機器が壊れたり、発電所や変電所などの電力施設が破壊されて停電になるなど、大規模な被害が発生する。

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太陽嵐により放出される電磁波などは、その速度の違いによって、3段階に渡って別々に到達する。まず、最初に到達するのが電磁波で、これは光速度で伝わるためわずか8分程度で到達する。これは主に電波障害を起こし、多くの通信システム(人工衛星、飛行機の無線など)が使用できなくなってしまう。

次に来るのが放射線で、これは数時間で到達する。宇宙飛行士などは放射線を遮蔽できるような施設内に避難しないと被曝してしまう。

最後に来るのがCME(コロナガス噴出、コロナ質量放出)と呼ばれるもので、2?3日後に到達する。この影響が最も危険であり、これに伴って磁気圏内に生成される電気エネルギーが原因となって発生した誘導電流が送電線に混入すると電流が乱れ、停電、電力システムの破壊を招く。これを防止するには、発電所などを停止して送電をストップし、強制停電を行うことが必要になると考えられている。大都市を中心に世界的に電力供給に影響が出ることが見込まれ、復旧に莫大な資金がかかり、経済的な損失を招くことになる。

はじめの電磁波到達を乗り切れれば、本体の太陽風の到達までに情報を発信して必要な措置を取ることができるため、主な対策として人工衛星による常時監視が挙げられる。これを担当している衛星として、NASAの「先進成分探査機(ACE)」がある。この衛星は地球と太陽のラグランジュ点付近で太陽嵐の常時監視をしており、太陽嵐の到達1時間前に太陽嵐を感知することが出来る。

2009年04月11日

アストロのエース兼4番打者

宇野球一(うの きゅういち、旧名:球児 アストロワン):4番・投手
アストロのエース兼4番打者。チームリーダー。自動車事故で火傷を負った阪神・江夏に成りすまして登場したところをシュウロに見出され、アストロ超人であることが判明する。球一の実力に目をつけた長嶋茂雄が巨人入りの誘いをかけるが、球一は日本の巨人軍を井の中のカワズにすぎないと断る。その直後シュウロのアストロ球団への誘いには、アストロ球団の目標が米大リーグ打倒と知ってか快諾している。ただそもそも江夏になりすました理由は判然としない。
数々の試練を経て、幾多の魔球を生み出す。ロッテ戦よりシュウロにチームの指揮を任される。勝つためにはドリルをも素手で握り、鎖骨を骨折しても打席に立つ男。自らに頼み一試合完全燃焼を地で行く熱血漢だが、ビクトリー戦ではチームメイトをたしなめる大人びた側面をのぞかせたり、自らの読みの甘さを省みて、チームを叱咤しつつも自らを叱咤するなど、単純な熱血漢ではなくチームリーダーとして冷静に状況を見渡す能力もある。左ヒジにボール型のアザを持つ。ジャコビニ流星打法。三段ドロップ。スカイラブ投法。七色の変化球。ファントム大魔球。
上野球二(うえの きゅうじ、旧名:球太 アストロツー):3番・捕手(注:ブラック球団戦)
ホームランボールをスタンドから打ち返す派手なパフォーマンスで登場。元坊主。しかし実は右手のひらにボール型の痣のような刺青を施したニセモノ超人だった。無七志との対戦で殺人L投法に手を出し致命傷を負い、金が目当てでアストロ球団に加入したことを告白する。その後、死の淵を彷徨いながら最後の力を振り絞り、キャッチャーボックスにたどり着いて、冥土の土産にと球一の豪速球を受けて絶命する。三回転打法。
上野球二(うえの きゅうじ=2代目、旧名:不明 アストロツー):2番・捕手
野球がしたい一念で、アストロ球団のマネージャーとなる。鉄球を使った特訓で打席に立って球一の三段ドロップのマスターに貢献する。登場後しばらくは小児麻痺を患っていて左手を開くことができず選手としての戦力にはならなかったが、アストロナインのためにミックスジュースを徹夜で作るなど内助の功でアストロ球団を支えた。初代球二を尊敬していたが、彼の死を目の当たりにし初代球二の命を奪った無七志の殺人L字投法を打ち破る力を得ることを強く祈念し、落雷を受ける。落雷の影響で小児麻痺が完治、開かれた左手のひらにボール型のアザがあった。超人として覚醒したあとは、二代目アストロツー上野球二を襲名し、強肩捕手として活躍する。襲名前はチビスケと呼ばれており本名は一切不明。ウルトラダイコン切り。ヤリ投げ打法。
伊集院球三郎(いじゅういん きゅうさぶろう アストロスリー):3番・一塁手
元レーサーだが、レース中の事故で瀕死の重傷を負い失明。一度は心臓も止まり死亡したものの、シュウロたちの手により遺体安置室から運び出され、パラシュート降下の衝撃で心臓が動き出し命を吹き返す。蘇生後は失明しているものの聴覚に頼る心眼で数々の長打を生み出し、ロッテ戦では決勝打を放つ。陣流拳法総帥・伊集院大門(後述)の弟で、ビクトリー戦では兄と因縁の死闘を繰り広げる。実のところは、陣流拳法先々代総帥・陣平助の子であり、先代総帥・伊集院千岩に引取られていなければ、陣球三郎という名だったと推測される。足の裏にボール型のアザがある。その女性と見まがうほどの美形のルックスから、女性ファンが多い。別名・少年ジャンプの貴公子。性格は冷静沈着で、話し方も常に敬語かつ上品。熱血漢の多いアストロ球団の面々の中で異彩を放つ。また洞察力はチーム内でも群を抜いており、数々の危機を救う。ビリヤード打法。飛燕活殺円法。
峠球四郎(とうげ きゅうしろう アストロフォー):8番(?)二塁手(ビクトリーでは 5番・投手)
峠コンツェルン会長の孫。灘高校を主席で卒業したのち浪人生。妾の子供である上にアザを持っていたことで一族から軽蔑され、虐げられた。ゆえに左腕にあるボール型のアザとその運命を憎悪し、アストロ超人の一人でありながら、他人に定められた運命に従順な超人たちを軽蔑する。その破天荒な行動の目的は、実力を持ちながら虐げられる若者のために既存の体制を破壊し革命を起こすことである。その野望の第一歩として世間の注目を集めるアストロ超人を試合の中で抹殺することを画策し、読売巨人軍の資金援助を引き出し、各界の一流アスリートを集めてビクトリー球団を結成。アストロ球団と死闘を演じる。一度見ただけの球一の魔球をそっくりそのまま再現できるほどの能力を持ち、緻密で明晰な頭脳と政治力、さらには多くの若者に支持されるカリスマ性も併せ持つ、ある意味最も潜在能力の高い超人にして、アストロ及び宇野球一にとって最大の敵となった。しかし、アストロ超人との数々の死闘が、逆に球四郎のアストロ超人としての血を目覚めさせることになる。アドルフ・ヒトラーに心酔しており、ビクトリー球団のメンバーにも自身を「フューラー(総統)」と呼ばせている。ファイナル大魔球。
三荻野球五(みおぎの きゅうご、旧名:球一 アストロファイブ):5番・三塁手
孤児院時代に読売巨人軍の長嶋茂雄に見出され、巨人の第四期黄金時代を築くため5年間極秘に育て上げられた長嶋の秘蔵っ子。しかし、球一(球児)、初代球二(球太)との勝負に敗れアストロ球団に入団。地味だが慎重で真面目な性格であり、無鉄砲なメンバーのまとめ役でもある。ビクトリー戦に向けての特訓では生命の危険があるため立ち入り禁止とされていた禁断のバンアレン特訓場で、通常の数十倍の重力の中での特訓を敢行、バム打法を開眼する。ビクトリー戦では伊集院大門に8本の肋骨をへし折られ、骨折した肋骨が内臓に食い込み瀕死の重態に陥るも、急激に回復、試合終盤に試合復帰する超人ぶりを見せる。ビクトリー戦で球四郎のボールを見送りサヨナラ四球で決勝点を入れた張本人でもある。左肩にボール型のアザを持つ。加速度打法。ウルトラシュート打法。バム打法。
高雄球六(たかお きゅうろく、元・カミソリの竜 アストロシックス):6番・遊撃手
元プロ野球選手・高尾正志の息子。カミソリの竜の異名で、思い通りにボールを打ち返せる「殺人X打法」を会得しブラック球団の殺人野球の先鋒を務めていたが、アストロ戦の最中に背中にボール型のアザが現れ超人であることが発覚、殺人野球と決別し旅に出る。その後ロッテ戦の延長10回裏、球一が負傷に苦しむ中に現れ、代打として殺人X打法を応用したコホーテクすい星打法で同点打を放ちアストロの危機を救う。加入後はいぶし銀の渋い魅力を発揮。江戸時代の遊び人を思わせるいなせな言葉遣いで喋る。また、ビクトリー戦前には超人の運命を受け入れたことを球四郎にバカにされてしまうが観察力にも優れており、ビクトリー戦では大門が球三郎に向かって投げてきたヌンチャクの身代わりとなったり、球四郎のファイナル大魔球攻略の糸口を見出すなど活躍。伊集院兄弟の悲劇の真実を暴露し、殺人野球の最後の幕引きをした。ビクトリー戦では屋久島の縄文杉を切り作ったバットを愛用する。殺人X打法。コホーテクすい星打法。アンドロメダ大星雲打法。
明智球七(あけち きゅうしち、旧名:球七郎 アストロセブン):1番・左翼手
「ホームラン掃除人」、「人間ロケット」の仇名を持つ火の玉ファイター。双子の弟・球八とのコンビによる超人的な外野守備を得意とする。当初は球一たちを見下していたが、阪急に入団後球一(当時球児)達の挑戦を受け数々の打法を打ち破るものの、球一(球児)のジャコビニ流星打法の前についに敗北し、アストロへ入団。減らず口を叩くが情に厚く、チームをまとめるために率先して憎まれ役をつとめるなど、勝利への執念が人一倍ある。火の玉ガッツでチームを牽引する反面、その体を張ったプレーから常に負傷が絶えない。球一に輪をかけた熱血野郎。ロッテ戦での死線を彷徨いながらもたった一点、一勝に命を賭ける球七の執念が、のちにアストロ球団の信条になる一試合完全燃焼を作った。ビクトリー戦では、アキレス腱を切っても他の超人に内緒で守備に立ち続けた熱血漢。胸にボール型のアザ。超人守備。超人バント。
明智球八(あけち きゅうはち アストロエイト):7番・中堅手
兄・球七を放り投げてホームランを阻止する巨漢の弟。その姿から「人間発射台」の異名を持つ。シーンによっては、身長が数十メートル以上あるのではと思わせるくらいに大柄に描かれている。兄同様に阪急に入団するもジャコビニ流星打法に敗れ、アストロへ入団。球七とは対照的に、体に似合わず気が小さく、それが仇になることがロッテ戦等で垣間見られた。しかし、ビクトリー球団のラフプレーには攻撃を受けながら反撃せず直立不動、正道野球の尊さとデスマッチの愚かさを説いて両ナインを正道野球へと導き、強い意志を持つようになった。額にボール型のアザ。超人守備。水爆打法。
火野球九郎(ひの きゅうくろう アストロナイン):9番(?)・右翼手(本編ではプレー場面なし)
作品終盤に登場。峠コンツェルンのエリート社員から転身し、アストロ球団へ。アザは右手の甲。出番は少ないが、アストロ対ビクトリー戦後敗戦の責任を取り割腹しようとした球四郎を制止し、その後は球四郎と行動を共にし、球四郎をアストロ球団に導く。サングラスを架け、穏やかな口調と紳士的な雰囲気を持つ冷静な理論家だが、対アストロ抹殺会議に球四郎とともに乗り込んだ際は、大和小五郎に鉄拳を浴びせる熱い一面も見せる。本編では試合に出場するシーンはないが、18歳にして元峠コンツェルンのエリート社員で、ヘリコプターの操縦もこなすなど、マルチな才能をもったかなりの超人と推測される。
J・シュウロ:監督
アストロ球団の総監督。少年時代にフィリピンで出会った日本兵・沢村栄治に野球の楽しさを学び、沢村玉砕の前日、沢村からアストロ球団の夢を語られる。28年後、沢村の夢に出てきた9人の超人を求めてアストロ球団を設立、沢村の遺言通り自ら監督となる。しかし、15万人収容の超近代的設備を誇るアストロ球場の杮落としの開場式の際、峠会長に球場に表われているシュウロ自身の金満主義を見透かされ、挫折。球一に指揮を任せ自らを磨く旅に出る。その後はアストロ超人へ様々な情報を送り外部からサポート。ビクトリー戦最終回に球九郎を連れて再登場する。海外に多くの銀行を持ち、西新宿に巨大なアストロ球場を建設、球団専用機にコンコルドを所有する、かなりの大富豪。フィリピンの真珠王とも。
女医:ASTRO HOSPITAL医師
アストロ超人たちの無謀な野球に文句を言いつつも、治療を行う。

ルント シャイ インタン トラム バプ 冬の枝 ハニー はしかみ スタッ ロルプロ トザウルス マリオ ロール ライカ カースト 花月 フェンシ モリブデン マジック おんかま シッキ サンドバ ニング ワラント サウスポー ミール きんしゃ ブランチ プロジ タッグ れんおん シルク チャカレ ヒュンダ くわのじつ ストラ 空を見 シャー リチャ 黄砂 オープン オリンズ ジブチ わどまり あずきいろ パリティ ビーフン コクト ひしがた バカラ

2009年03月27日

サガ

サガ(アイスランド語:saga、複数形:sögur、サーガとも)とは、主に12世紀から14世紀にかけて北欧で編纂された、散文形式の文学作品の総称である。エッダ(古エッダ・スノリのエッダ)が神話や英雄伝説を集めたものであるのに対し、サガは主にノルマン人の植民前後の歴史的な出来事を年代記風に記述したものである。しかし、中には英雄にまつわる伝説など、叙事詩的な内容を取り扱ったものもある。

サガという言葉は、アイスランド語で「語られたもの」を意味する言葉に由来する。

サガの多くは、12世紀から14世紀にアイスランドで編纂された。

1477年、クリストファー・コロンブスが大西洋の果ての情報を求め、アイスランドへ渡航し、アイスランド・サガを閲覧したという。

分類 [編集]
『ブリタニカ百科事典』では、「王のサガ」「伝説のサガ」「アイスランド・サガ」の3分類が挙げられている。すなわち、アイスランドで伝承された物語をアイスランド・サガ、ノルウェーに伝わる中世の物語を王のサガ、そして文学的要素を含め想像において書かれた物語を伝説のサガと呼ぶ。ヴァイキング時代のスウェーデンの族長について書かれたサガも存在する。

谷口幸男は、著書『エッダとサガ』や、『世界大百科事典』(平凡社刊)へ寄稿した「サガ」の項目において、ヤン・デ・フリースの分類に従ったとして、「宗教的学問的サガ」「王のサガ」「アイスランド人のサガ」「伝説的サガ」の4つに分類している[1]。また、その他の日本語のサガに関する文献も、多くはこのような4分類を行っている。

その他、『スカルド詩人のサガ』(森信嘉著)では「アイスランド人のサガ・家族のサガ」「同時代のサガ」「王のサガ」「サイッティル」「聖人のサガ」「伝説・いにしえの物語」「騎士のサガ」という7分類が[2]、『アイスランド・サガ 血讐の記号論』(J.L.バイヨック著)では「王のサガ」「古代のサガ」「騎士のサガ」「虚構のサガ(伝説のサガ)」「司教のサガ」「一族のサガ」「ストゥルルングのサガ」の7分類がなされている[3]。ただし、いずれもサガの分類を主眼に置いた記述ではなく、サガについて論ずる前置きとしての分類が試みられている。

代表的なサガ [編集]

王のサガ [編集]
『ユングリング家のサガ』 (Ynglinga saga) - ヘイムスクリングラに収録されているサガの一つ。
『アイスランド人の書』 (Íslendingabók)
『ノルウェー史』 (Historia Norwegiæ)
『クニートリンガ・サガ』 (en:Knýtlinga saga) - ハーラル1世から12世紀までのデンマークの支配者に関するサガ。
『オーラブ・トリグヴァソンのサガ』 (Óláfs saga Tryggvasonar) - ノルウェー王オーラヴ1世に関するサガ。
『聖オーラヴのサガ』(Ólafs saga helga) - オーラヴ2世“聖王”に関するサガ。
『ハーコン・ハーコナルソンのサガ』 (Hakonar saga Hakonarsonar) - ホーコン4世に関するサガ。ストゥルラ・ソルザルソン (en:Sturla Tordarson) の作。
『ヨームのヴァイキングのサガ』 (Jómsvíkinga saga) - ヨームのヴァイキング (en:Jomvikings) に関するサガ。
『ファグルスキンナ』 (Fagrskinna)
『モルキンスキンナ』 (Morkinskinna)

伝説のサガ [編集]
『ヴォルスンガ・サガ』 (Völsunga saga) - ニーベルンゲン伝説(ニブルング伝説、en:Nibelung、de:Nibelungensageなども参照)に関するサガ。
『ユングヴァルのサガ』 (Yngvars saga víðförla)
『エイムンドのサガ』 (Eymund's saga)
『フリシオフのサガ』 (Frithiof's Saga)
『ガウトレクのサガ』 (Gautreks saga)
『勇士殺しのアースムンドのサガ』 (Ásmundar saga kappabana) - ヒルデブラントの伝説にも関わる物語。
『ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ』 (Hervarar saga ok Heiðreks) - ティルヴィングに関する物語。
『ボーシとヘラルドのサガ』 (Bósa saga ok Herrauðs)
『ラグナル・ロズブロークのサガ』 (Ragnars saga loðbrókar) - ラグナル・ロズブローク (en:Ragnar Lodbrok) と彼の息子たちの生涯を描く。
『フロールヴ・クラキのサガ』 (Hrólfs saga kraka) - デンマークの伝説的な王フロールヴ・クラキ (en:Hrólfr Kraki) に関するサガ。

アイスランド・サガ [編集]
『エッダとサガ』や『アイスランド・サガ』(いずれも谷口幸男著)では、以下の5つの長編サガが「五大サガ」として挙げられている。

『エギルのサガ』 (Egils saga)
『ニャールのサガ』 (Njál's saga)
『ラックス谷の人々のサガ』 (Laxdœla saga)
『エイルの人々のサガ』 (Eyrbyggja saga)
『グレティルのサガ』 (Grettis saga)
他にも、以下のようなサガがある。

『コルマクのサガ』 (Kormáks saga)
『赤毛のエイリークのサガ』 (Saga of Eric the Red)
『グリーンランド人のサガ』 (Grœnlendinga saga) - ヴィンランドへの5回に渡る旅が描かれている。
『スールの子ギースリのサガ』 (Gísla saga Súrssonar)
『フレイル神ゴジ・フラヴンケルのサガ』 (Hrafnkels saga Freysgoða)
『ヒータル谷の勇士ビョルンのサガ』 (Bjarnar saga Hítdœlakappa) - オッドニューという女性をめぐる、詩人ソールズとビョルンの争いの話。
『蛇舌のグンラウグのサガ』 (Gunnlaugs saga ormstungu)
『みずうみ谷のサガ』 (en:Vatnsdœla saga) - 『ヴァトン谷のサガ』とも。
『めんどりのソーリルのサガ』 (Hænsna-Þóris saga)

その他のサガ [編集]
『シズレクのサガ』 (Þiðrekssaga) - 『シドレクスサガ』とも。「騎士のサガ」 (Chivalric sagas) に分類されている。ディートリッヒ (de:Dietrich von Bern) の活躍を描き、シグルズ(ジークフリート)の伝説やヴェルンドへの言及も見られる。
『ギュータサガ』 (Gutasaga)
『植民の書』 (Landnámabók) - 『入植の書』とも。
『キリスト教のサガ』 (Cristni saga)
『ストゥルルンガ・サガ』 (Sturlunga saga) - ストゥルルング一族 (en:Sturlungar family clan) に関するサガ。
『フェロー諸島の人々のサガ』 (Færeyinga Saga)
『オークニー諸島人のサガ』 (Orkneyinga saga)

マリゴール ユーロシ 法則 プロキオ パティ フェンリル ロボコン プラン とうみ ドロン デザイナー ひかわ ウンギョー クロスバー デリシ 宿儺南瓜 フロアマ バナバ ぶどう ハツユ ァサード パイ セミダブル ミコロン スキャンダル ピザク トライアル ギンリ ビコル カデット ブレーン エイド ヒート フロアス エーエスピ シュリン くわい サイト冬瓜 紀州 レーシ うたしない ベジス ブック ノベル ジャル ワイフ ニュー フリ モラテオ はっとう

2009年03月12日

ヴィチェンツァ市街

ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ(ヴィチェンツァしがいとヴェネトちほうのパッラーディオのヴィッラ)は、イタリアの都市ヴィチェンツァとヴェネト州一帯にあるユネスコの世界遺産登録物件名。登録は1994年。1996年には拡張され、建築物が追加された。15世紀に活躍した建築家アンドレーア・パッラーディオの設計したパラッツォおよびヴィッラを対象とする。

ヴィチェンツァは、紀元前2世紀から紀元前1世紀に建設されたローマの都市ウィケティアが起源となっている。他の北イタリアの都市と同じように、13世紀にはコムーネを組織し、近隣の都市国家と闘争を繰り広げたが、15世紀にヴェネツィア共和国の統治下におかれたことで、平和と経済的繁栄がもたらされ、卓越した芸術活動を生み出すことになった。
リティ ハーフタイ ラサSEO ナビみさわ プローブ いきな オストミー ゼロワン フェイ ユータ メイス ドッグレ オール のんき フィジー ソニア ジューサ トハギ コート ナーグプ ちょくん ロイヤ フラック カスタマー ポンチ 影ふみ ニップル ハンブル 時代屋 ドッキン オンフ タウン むほん ブロード ジルサン パレタイ セリュ すぺあ トレッド ディベー ディーズ フラワー レジャ フォーマ シランレン メゾン お手玉 デモクラシ 竹てっぽ ダボス

今日、世界遺産に登録されている物件は、建築家アンドレーア・パッラーディオと彼の弟子ヴィンチェンツォ・スカモッツィの手によるものである。パッラーディオはイタリアの偉大な建築家のひとりで、彼の作品が多く残るヴィチェンツァは「パッラーディオの街」と呼ばれる。パッラーディオはルネサンス期で最初の職業建築家(つまり他の芸術活動は行わなかった)であり、設計した建築物や著作に由来するスタイルは、後にパッラーディオ主義と呼ばれ、ヴェネツィア共和国をはじめ、ドイツ、ロシア、そしてイギリス、1760年代以後にはアメリカ合衆国にまで広がりを見せた。このように、一個人の名を冠する建築様式はほかになく、彼がいかに独創性豊かで一貫したスタイルを保ち続けたかが分かる。

古代遺跡に関する知識と、ドナト・ブラマンテやヤーコポ・サンソヴィーノ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ジュリオ・ロマーノ、そしてヴェネツィアのビザンティン建築からの影響を受けたパッラーディオのスタイルは、いくぶんマニエリスム的な部分もあるためか、後に新古典主義の理論家・建築家らによって純粋でないと評された。しかし、ゲーテなどは、イタリア紀行の途中でヴィチェンツァの町並みに触れ、パッラーディオの能力を高く評価している。

パッラーディオは公共建築や宗教建築の設計も行ったが、終始一貫して取り組んだ建築がヴィッラであり、その作品の数も多い。そして後世、20世紀に至るまで影響を与え続けたのも、このヴィッラであった。これらの事柄を考慮し、1994年、ヴェネト地方に点在するパッラーディオ設計のヴィッラが世界遺産として登録された。

ヴィチェンツァ市街にあるもの
パラッツォ・バルバラーノ・ダ・ポルト
パラッツォ・チヴェーナ・トリッシノ
パラッツォ・ティエーネ・ディ・スカンディアーノ
パラッツォ・ポルト
パラッツォ・デッラ・ラジョーネ 通称「バシリカ・パッラーディアーナ」
ロッジア・デル・カピタニアート
パラッツォ・ヴァルマラーナ
パラッツォ・ポルト・ブレガンツェ
パラッツォ・キエリカーティ(現在キエリカーティ絵画館)
テアトロ・オリンピコ
パラッツォ・ダ・モンテ
パラッツォ・スキオ
カーサ・コゴッロ

ヴェネト地方にあるもの
ヴィッラ・アルメリコ 「ラ・ロトンダ」(ヴィチェンツァ近郊)
ヴィッラ・ガッゾッティ
ヴィッラ・アンガラーノ付属屋
ヴィッラ・カルドーニョ
ヴィッラ・キエリカーティ
ヴィッラ・フォルニ
ヴィッラ・ゴーディ
ヴィッラ・ピザーニ
ヴィッラ・ポヤーナ
ヴィッラ・サラチェーノ
ヴィッラ・ティエーネ付属屋
ヴィッラ・バルバロ

2009年02月23日

反物質(はんぶっしつ)

反物質(はんぶっしつ)は、質量とスピンが全く同じで、構成する素粒子の電荷などが全く逆の性質を持つ反粒子によって組成される物質。 例えば電子はマイナスの電荷を持つが、反電子(陽電子)はプラスの電荷を持つ。中性子と反中性子は電荷を持たないが、中性子はクォーク、反中性子は反クォークから構成されている。
ワンド エリア ショール 二十世紀 スタス テーブ アニマロジ マクロレ オイスタ ライスワン キック フィー カウツギ バンダナ ディージ オクラ テランセラ タヒボ リーフ 夜汽車 カウチ ふたり星 ユリ最適 時空ド ミリタリー サギソウ トライプ ドーベ メリル プレタク チューブ カムカエ ラッター ソーサー ラクト バック 朝日が昇る ジプサム フェロモア ション デュアル ウォマ フラッシュ ルコア サイホン シンク タイガ デキャンタ ディスコン テーピング

1930年 物理学者のポール・ディラックが反粒子の存在に関する仮説を提唱。
1932年 宇宙線の研究をしていた物理学者のアンダーソンにより正の電荷を持つ電子、陽電子が発見される。
1955年 物理学者のセグレとチェンバレンにより、前年に建設された粒子加速器ベヴァトロンを用いて反陽子を発見。この実験では反中性子も発見されている。
1995年 欧州原子核研究機構(CERN)とドイツの研究チームにおいて、陽電子と反陽子からなる反水素が生成された事が判り、翌年1月に発表。
2002年 欧州原子核研究機構や日本を含む国際共同研究実験グループにおいて、反水素の5万個ほどの大量生成に成功。
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性質
物質と反物質が衝突すると対消滅を起こし、質量がエネルギーとなって放出される。これは反応前の物質・反物質そのものが完全になくなってしまい、消滅したそれらの質量に相当するエネルギーがそこに残るということである 。1gの質量は約 9×1013(90兆)ジュール のエネルギーに相当する。ただし 発生するニュートリノが一部のエネルギーを持ち去るため、実際に反物質の対消滅で発生するエネルギーは、これより少なくなると言われる。

反物質は自然界には殆ど存在しないので、人工的に作らねば得ることが難しい。非常に高いエネルギーを持つ粒子どうしを衝突させると多くの粒子が新たに生成されることは既に知られていて、これは粒子が衝突前に持っていたエネルギーがそれに相当する質量に変わるためであり、物質と反物質の衝突とは逆の事が起きているのだが、これによって生成される粒子の中に反粒子が実際に含まれている。そのため現在では、人工的に高エネルギーの粒子を、粒子加速器という非常に巨大な装置を使って作り出し、それらを衝突させて反粒子を作りだし捕獲することで反粒子を得ている。

反物質の消滅
反物質がどうしてわれわれの住む宇宙では殆ど存在していないのかは、長い間、物理学の大きな疑問の一つであったが、最近その疑問への回答が部分的ではあるが得られつつある。初期宇宙においての超高温のカオス状態の中で、クオークから陽子や中性子が出来、中間子が生まれ、それぞれの反粒子との衝突で光子(電磁波・ガンマ線)に変換されたり再び対生成されていた頃にすべては起こったと考えられている。

従来、物質と反物質は鏡のように性質が逆なだけでその寿命を全く同じだと考えられてきた(CP対称性)。だが近年、粒子群の中で「物質と反物質の寿命がほんの少しだけ違う」というものが出てきた。最初はK中間子と反K中間子である。そして、B中間子もはっきりと反B中間子とでは寿命が違うことが確認された。日本の高エネルギー加速器研究機構[[1]]のBelle検出器[[2]]による発見である。「反物質の寿命がわずかに短かった」(CP対称性の破れ)。これにより、初期宇宙の混沌の一瞬の間の「物質と反物質の対生成と対消滅」において、ほんのわずかな可能性だが反物質だけが消滅し物質だけが取り残されるケースがあり、無限に近いほどの回数の生成・消滅の果てに、「やがて宇宙は物質だけで構成されるようになった」と説明できる。もちろん多種さまざまな粒子群の中のわずか2つの事例であるが、他の粒子での同様の現象の発見やそもそもの寿命のずれの発生機序が解明されれば、この謎は遠からずすべてが解明されると期待されている。

将来の利用法
反物質は粒子加速器を使う核融合実験の際に、微量ずつ発生しては、発生の次の瞬間には対消滅で消え去っている事が観測データから確認されているが石油やウランなどと異なり自然には殆ど存在せず、そのため反物質を得るにはいちから生成する必要がある。

ただし、反物質を生成するのに必要なエネルギーは、反物質を燃料として消費するときに得られるエネルギーよりも大きいため、結局は損をする。これは、水素を燃料として使うために水を電気分解した後、再び燃料電池として電気に戻して消費するサイクルに似ている。ただ、エネルギー密度だけを考えれば非常に高密度であるので遠い将来の宇宙開発のような特殊な用途での利用が想像されている。反物質は物質に触れると爆発的な対消滅を起こすので貯蔵や取り扱いには工夫が必要になる。

反物質は、周囲の物質と対消滅を行うことにより自身の質量の200%をエネルギーに転換できる(ちなみに核分裂反応ではおよそ0.1%、核融合反応でも質量の1%程度しかエネルギーに変換されない)ので宇宙開発上課題となっている燃料の質量を軽量化できる。NASAは反物質動力の推進機関に関心を示している。宇宙機のエンジンとして比べれば、化学燃料は質量の10-8倍が、核融合では質量の10-2倍、反物質を使えばその大部分がエネルギーとなる。例えば100kgの深宇宙探査機を50年間加速させるのに必要な反物質燃料は100μgで良い

2009年02月07日

京極高詮・京極高光・京極持高・京極高数・京極持清

京極高詮(きょうごくたかのり 1352年(正平7年/文和元年)- 1401年(応永8年)))は、守護大名である京極氏の室町時代前期の当主。将軍の足利義満に仕えた。官位は左衛門尉。治部少輔。

1352年(正平7年/文和元年)に守護大名である京極高秀の子として生まれる。

1365年(正平20年/貞治4年)、佐々木一門の宗家である六角氏の当主、六角氏頼が唯一の跡取を早世により失ったため、高詮は養嗣子として六角氏に赴く。しかし氏頼は、四年後に新たに亀寿丸(六角満高)をもうけ、その翌年には死去してしまう。このため跡目争いが生じ、高詮は幕府から、亀寿丸が成人するまでの後見役を命じられ、六角氏が代々務めていた近江守護へと任じられる。しかし、わずか7年後の1377年(天授3年/永和3年)に近江守護職を解かれ、高詮は京極氏へと戻る。

1391年(明徳2年)、父が亡くなり家督と飛騨の守護職を継ぐ。またこの年には、全国66ヶ国中11ヶ国の守護を務めていた山名氏が幕府に背く明徳の乱が起こり、その京内野の戦いでの活躍により、翌年には出雲、隠岐の守護へと任ぜられる。

出雲へは甥の持久を守護代として派遣し、その子孫は戦国大名の尼子氏となる。また出雲大社において当時とぎれていた祭事の三月会を復興している。

1395年(応永2年)には侍所の司を務めており、明徳の乱に敗れ京の五条坊門高倉に潜伏していた山名満幸を討つ。この後には出家し京極浄高と名乗っており、主君である義満の出家に従ったとも考えられる。

1399年(応永6年)に大内氏が幕府に背いた応永の乱でも活躍し、1401年(応永8年)出雲、隠岐、飛騨の守護職を子の高光に継がせ亡くなった。

京極氏は高詮の代である1398年(応永5年)に侍所の司を務める四職の一つと定めらている。子には後を継いだ高光、その弟の高数がある。

京極高光
京極高光(きょうごく たかみつ、 1375年(天授元年/永和元年) - 1413年9月14日(応永20年8月19日))は、守護大名である京極氏の室町時代中期の当主。官位は大膳大夫、治部大輔。

経歴
1375年(天授元年/永和元年)、守護大名である京極高詮の子として生まれる。

1401年(応永8年)に父が亡くなり、出雲、隠岐、飛騨の守護を継ぐ。

1405年(応永12年)に出雲大社の造営を幕府から命じられ、出雲の豪族である松田掃部入道に、大社の宮司である出雲国造と相談し完了させる様に命じている。また応永年間には近江の日撫神社に伽藍を建立している。

1411年(応永18年)飛騨国司姉小路尹綱が幕府に背いた飛騨の変が起きると、弟の高数を総大将として兵を出し制圧している。

翌々年の1413年(応永20年)に亡くなった。

生前は侍所の司を務めており、子の持高が家督を継いだ。

京極持高(きょうごくもちたか 1401年(応永8年)? - 1439年1月29日(永享11年1月14日))は、守護大名である京極氏の室町時代中期の当主。京極持光とも名乗ったとされる。

守護大名である京極高光の子として生まれ、幼名は吉童子と称した。通称は三郎。官位は治部少輔。

1413年(応永20年)に父が亡くなり出雲、隠岐、飛騨の守護職を継ぐ。

1434年(永享6年)に、将軍の足利義教から、反抗する延暦寺への攻撃を命じられ、六角満綱と共に山門を囲み降伏させる。さらに近江国内に多くあった延暦寺領の差し押さえを命じられている。

1439年(永享11年)に子を残さぬまま亡くなった。享年39とされる。

後を継いだのは薩戎記によれば叔父の高数とされ、西讃府史によれば弟の持清とされる。

京極高数
京極高数(きょうごくたかかず ? - 1441年7月12日(嘉吉元年6月24日))は、守護大名である京極氏の室町時代中期の当主。始めは京極高員と称した。官途は加賀守等。

守護大名である京極高詮の子として生まれる。

1411年(応永18年)に飛騨の国司姉小路尹綱が幕府に背いた飛騨の変が起きると、幕府軍の総大将へと任命され、越前の朝倉氏、甲斐氏、信濃の小笠原持長らと共に、五千余りの兵を率いて鎮圧している。

翌々年の1413年(応永20年)に兄の高光が亡くなり、その子の持高が後を継ぐが、持高は1439年(永享11年)に子を残さぬまま亡くなる。薩戎記はこの後に高数が家督を継いだとしているが、高数を当主には含めない史料も多い。

1441年(嘉吉元年)6月24日、赤松満祐が開いた酒宴に将軍の足利義教、諸大名、公家らと共に招かれ、その最中に突然、義教が赤松氏の家臣により暗殺される(嘉吉の乱)。管領である細川持之を始め多くの諸大名が逃げ出す中で、高数はその場に残って戦い、討たれた。

家督は先代の持高の弟である持清が継いだ。また、次男に多賀氏の家督を継いだ高忠がある。

京極 持清
京極 持清(きょうごく もちきよ、1407年(応永14年) - 1470年8月30日(文明2年8月4日))は守護大名である京極氏の室町時代中後期の当主。

1407年(応永14年)に守護大名である京極高光の子として生まれる。

1413年(応永20年)に父の高光が亡くなり、兄の持高が後を継ぐが、持高は1439年(永享11年)に子を残さぬまま亡くなる。薩戎記はこの後に叔父の高数が家督を継いだとし、西讃府史は持清が家督を継いだとしている。いずれにせよ、高数は翌々年の1441年(嘉吉元年)6月に起こった嘉吉の乱で、将軍の足利義教と共に、赤松満祐邸でその家臣に討たれる。

幕府は満祐の追討軍を播磨に発し、その間、持清は京の警護を行うが、8月に嘉吉の徳政一揆が起こり清水坂でこれと戦っている。その後、満祐の追討がなされ、幕府が徳政令を発する事により一揆も治まり、12月に持清は出雲、隠岐、飛騨の守護職を継ぐ。

1446年(文安3年)に同じ佐々木一門の宗家である六角氏において家督争いが生じ、幕府の命により六角久頼を助けこれを鎮めるが、後に久頼は京極氏との確執を理由に自害し、嫡子の亀寿丸(六角高頼)が後を継ぐ。

1449年(文安6年)には侍所の司へと任じられ、以降1466年(寛正7年)まで長く務める。この間、1460年(寛政元年)には出家しており、翌々年に開いた花会では池坊専慶に立てさせた花が評判になったという。
マッチョ シスター シャンソン ミズバシ ストック オタワ ビピンセット モカシ クアヘン ランプ ジョー たけのこ ハットピン スコー どひ ノーサンキュ ケース ブイカッタ バウハ テイクオフ ジェム デグレー バラモン ライト コモデ ダイナモ いえごん ミドル 陣の風 タブロイド キシレン オー ラテン レディ ムートン クオンツ パペット ユーレカ ホーム ターフビ ジュゴン オフショ パリジャ オフラ ブランド 学園祭 プロッター チャマ ハンドマッ バール

1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こると、細川勝元の率いる東軍に家臣で従弟の多賀高忠と共に一万余騎を率いて属し、洛中の花開院塩屋、一条大宮などで西軍と戦う。翌年には西軍についた六角高頼と近江で戦い、その本拠である観音寺城を落とし、さらに翌年には六角氏が代々務めて来た近江守護職を任ぜられる。その後も六角氏との戦いが続く中、1470年(文明2年)に64歳で病死した。

生前は従四位上大膳大夫に任ぜられていた。家督は、長男の勝秀が既に亡くなっていたため、勝秀の嫡子と考えられている孫童子丸が継ぐが、これもわずか一年で亡くなり、その後を三男の政経と四男とも勝秀の子ともされる高清が争う。その後政経が継ぐものの、頭角を現してきた出雲の守護代尼子経久に出雲を奪われる。その事により更なる内紛が起こるのである。

2009年01月22日

シルクロード(Silk Road)

シルクロード(Silk Road)は、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹の道とも呼ばれる。現在の日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国と秦漢帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多いが、広くは近代(大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指し、南北の交易路や海上の交易路をも含める。

シルクロードという語は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『シナ China 』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセンSeidenstrassen (ドイツ語で「絹の道」の意)として使用したのが最初で、彼の弟子ヘディンがその中央アジア旅行記の一つの書名にこの言葉を使用し、さらにその本が1938年に『ザ・シルクロード』という題名で英訳されたことにより有名になった。

リヒトホーフェンやヘディンらこの語の元来の使用者は、東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交通路を意図していたが、のちには中国を起点・終着点とする国際交易路を広く指しても使われるようになった。

現在の日本ではときには、シルクロードの通過する地域である中央アジアを地域的に指す言葉としても使われることがあり、日本ではシルクロードの通る地域は、中国で伝統的に言った「西域」(さいいき)という言葉とともに広く知れ渡っている。

一般に対するシルクロードの語の用法とは別に、日本の歴史学界では「シルクロード」の概念を巡っての論争があった。すなわち、日本では戦前に中国史研究の延長として始まった中央アジア研究は、漢文を史料として用いることから必然的に、仏教伝来史、東西交渉史、中国西域経営史などのかたちを取り、シルクロード研究の重要性を強調してきた。それに対し、戦後になって成長してきた当時の新進中央アジア研究者たち(間野英二ら)は、彼ら自身が研究に用いてきた史料である、中央アジア住民の書いたテュルク語、ペルシア語などの歴史書や文学作品の叙述に立脚し、旧来の研究の中央アジアを貿易中継点に過ぎないかのごとく見る視点を批判したのである。

「シルクロード」概念の批判者によれば、現地の人々が残した記録には中国や東西交易についての話題はほとんど触れられておらず、したがって中央アジアの内側からの世界観では「シルクロード」に類する概念は存在せず、現地人には中央アジアを貫く東西交通路の存在はほとんど意識されていなかった、という。むしろ彼らの社会生活の中で重視されていたのは、南のオアシス都市の定住民と北の草原の遊牧民の間で繰り広げられる南北の関係であり、正しい中央アジアの歴史理解のためにはシルクロード史観を脱して現地住民による記録を中心に据えた研究を行わなければならないことを批判者たちは訴えた。こうした視点のもとに、批判者たちは「シルクロード」という用語の学術的な使用にも否定的である。
アマウ クチュール カートゥ ヌクレア ロデックス シフォン サーチ気球 ぎおん ミルキー バルコニー シェア クロモジ ジアス ゲードル じょうそう ドキュメ サクラソウ ハーフ デニム フォトジ ちとせ モンター ローブ レモン パラオ キッチュ マンノ ソテツ 江戸一 フェデ バンデージ スムーズ テレオ ドット ヤマブ チューニン オーダー バックミラ ニョリータ ネベ幸 ボール ニビル ギアシフト がかい あかぼり ビューロ ビロウ バンカ ユーラトム シーディー

一方、中央アジア研究者の中にも、現地の住民によって書かれた史料であれば日常的な活動である交易に関する記録があるとは限らない(護雅夫)、といったシルクロード史観批判論に対する批判も生じた。また、実際にイスラム化以前の古代ウイグル語などの文書の中には交易に関する記述がふんだんに含まれており、イスラム化後に書かれたペルシア語やテュルク語の史料だけを見てシルクロードを否定するのは無理(森安孝夫)という反論もある。しかし、こうした反論を行う研究者においても、シルクロードが中国とヨーロッパとを繋ぐ単なる東西交易の通過路であったとする見解は取られず、東西関係だけでなく南北関係も含めた中央アジアの交易路としてシルクロードを理解すべきであると考えられている。

この論争は結局、結論が出ないまま終息していくが、論争の影響もあってか最近は日本の歴史学界では、一般に膾炙(かいしゃ)したような東西の通過路的なシルクロードのイメージに対しては否定的な見解も根強い。現在では「シルクロード」という言葉を「括弧(かっこ)付き」で用いる研究者も少なくない。

2009年01月15日

人柱(ひとばしら)

キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

人柱(ひとばしら)は、堤や橋、城といった大規模な建築物が水害や敵襲によって破壊されないよう神に祈願するため、生きながら建築物やその近傍に埋められた人身御供である。

転じて、情報の少ない製品を自ら購入し、テスト及びレビューをする人のことを指す場合もある。

古墳の造築に当たって人身御供にされた人々から始まり、史実はともかくとして日本各地に伝説が残っている。現在では工事の際に人柱を立てることはしないが、タコ部屋労働に伴って生き埋めにされた労働者も人柱と呼ばれ、通常の労働環境下であっても不幸にも工事中労働者が事故死した場合、慰霊と鎮魂の思いを込めて人柱と呼ぶ場合がある。

上記の例とはややニュアンスが異なる人柱も存在する。例を挙げれば、城の秘密通路を作成した作業員が秘密隠蔽の為に全員殺され、その死体を人柱に見立てるケースである。表現としては残酷であるが、実用性が伴った人柱と言える。上記のタコ部屋の人柱も、不当労働や賃金の未払いから「どうせなら殺してしまえ」という理由で人柱にされてしまった例も考えられる。

炭鉱火災が発生した際、酸素が供給されなくなるように坑内に残る鉱夫を救助せず、坑口を封鎖するケースも該当するとされるが、これは小説や映画での創作であるといわれている。

比喩
自虐的な比喩として、動作するかよくわからない怪しげな新製品やジャンク品を率先して購入・試用し、良品か粗悪品(地雷品)かを調べるマニアの事も指す。

特にパーソナルコンピュータは、部品・ソフトウェアがバラ売りされている一方で、互換性が低かったのでマニアは大枚をはたいてそれらを試用し、ネット上で誇らしげに動作報告をしたものである。動作が保障されない試用版(ベータ版)ソフトのことを人柱版と称することもある。動作検証のために自らの財産を他人のために犠牲にすることから転じたと考えられる。

人柱伝説の残る建築物の例
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

日本国内
常紋トンネル - タコと呼ばれた労働者の骨が待避壕から出た。タコが生き埋めにされたことは、当時のタコ部屋労働者他の証言から明らかになっている。
茨田堤 - 日本書紀、仁徳天皇の条
香川・小田池、平池の堤防
刈藻島・兵庫県
郡上八幡城
富士川の雁堤
長浜城
松江城
服部大池 - 堤建設の際に埋められた「お糸の人柱伝説」
厳島神社
錦帯橋
福島橋
輪中
芋川用水
吉田新田 - 埋め立て工事に際しての「お三(女名)の人柱伝説」が有り、鎮守の日枝神社は「お三の宮」と呼ばれる。
千貫石ため池?岩手県金ケ崎町にあるため池。「おいし」と呼ばれた女性が人柱として捧げられたと言われている。
千貫石土地改良区?おいし伝説
岩手県?農業農村整備かみしばい「千貫おいし」
大輪田泊(神戸港)の工事にあたっては、平清盛が人柱を中止させたと伝えられている。